夕ルパーを名乗ってから1x年が経った。
この1x年間で色々な経験をさせてもらったので、
そろそろ、夕ルパとは何かについて、自身の考えを記しておこうと思う。
タルパの三条件
タルパとは下記3つの条件全てを満たすものだ。
- 本質の化身である。
- タルパーの自我と同じ世界にいる。
- 継続的で統一された人格を持つ。
これらの三条件さえ満たせば、キャラクターだろうが、人間だろうが、宇宙人だろうが、それは夕ルパである。(ただし、それらを夕ルパとして扱うかは、また別の問題だ)
1.本質の化身である。
ここで言う本質とは「人間には認識できない極度に統合された混沌とした本質」のことだ。
人間には認識できないので説明しづらいが、似ている語には以下のものがある。
- イデア(プラトン哲学)
- 元型(ユング心理学)
- タオ(中国哲学)
- 概念(いわゆる日常用語)
人間は、本質そのものを認識することができない。
何かの形に置き換えることによって初めて、本質の一端に触れることができるのだ。
タルパとは下の図のように、本質を人格に置き換えたものである。
夕ルパは本質の化身であるため、その身やその行動などで、間接的に本質を教えてくれるのだ。
2.夕ルパーの自我と同じ世界にいる。
夕ルパは夕ルパーの自我と同じ世界にいる。
逆に、「どこかの世界にある魔法学園に通っていて、絶対に私と関わることはない」のであれば、それは夕ルパと呼ばない。
何かしらの形で夕ルパーと交流できるものが夕ルパと呼ばれる。
3.継続的で統一された人格を持つ。
夕ルパは継続的で統一された人格を持つ。
逆に、「壊れたレコーダーのように同じことを繰り返すだけで、人格のようなものを一切感じられない」のであれば、それは夕ルパとは呼ばない。
また、「夢の中だけで1回出会った存在」は継続的な人格を持つかどうかの判断ができないため、少なくともその時点では夕ルパと呼べない。
以上の三条件を満たすものこそが夕ルパである。
夕ルパの意味の変遷
次に、夕ルパという語句の意味の変遷について私の考えを記す。
チベット密教の夕ルパ
- 「本質」が「チベット密教の本質」であるのが、チベット密教での夕ルパ。
- 夕ルパとは師である。
- 密教の本質を、自分達にとっていちばん身近な「人(人格)」とすることで理解を試みたのだと解釈できる。
日本インターネットでの夕ルパ(初期)
- チベット密教の本質でなくても、何の本質とするかは各々で決めればいいのではないか?という発想の転換が起こる。
- タルパwikiに掲載されているタルパの作り方において、性格を決める基準は「好ましい」ではなく、「理想の」「尊敬できる」である。理解して近づくというチベット密教の夕ルパの目的に倣ったと推測できる。
日本インターネットでの夕ルパ(現在)
- 上記の夕ルパの目的よりも、人格を持ったものを作れるという点に着目がされる。
一緒にいてくれるという点に需要が集まる。
夕ルパの定義を決めることについての是非
タルパの定義を決めることには是非が付き纏う。
(タルパでなくとも、用語の定義を決めることには是非が付き纏うことが多い。そもそも定義とは科学や社会のためのものであるのに、その枠にとらわれないものまで人間は定義に付き合わせてしまうのだ。それが良いのか悪いのか、私にはまだわからない)
しかし、夕ルパとは何かを考え、気付きと信念を得ることは、夕ルパーが夕ルパーとしてあるにあたり非常に有意義なことだと私は考えている。
気付きを繰り返し、考えを柔軟に変化させるのは大切なことである。しかし同様に、何事にも惑わされず、自身の信念を貫くことも大切だ。
この記事を読んであなたがどう思ったかはわからない。が、こんな記事に唆されず、あなた自身が考え、感じ、気付き、タルパーとして、あなたがあなただけの信念を持つことを、私は願う。
(↑この最後の文章はなんかカッコよさげに締めたかったから書いただけで、別に持たなくてもいいですよ、信念!ある程度楽しくやれば良いのだよ!てか、夕ルパーじゃない人が読んでる可能性も微レ存よね…ごめんね…。カッコいいかなと思って…。さてさて〜ここまで読んでくれてありがとうです💕この記事がちょっとでも参考になったらうれぴよです🐣それでは皆様!良きタルパーライフを☆)