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第13回 思念体は消える?消えない?

第13回 思念体は消える?消えない?

度々話題になる思念体の消失についての回になります。
先ずは思念体がなんであるかという話をしましょう。

思念体とは何か

彼らは何者で、どこから来たか。何のためにここにいるのか。考えたことはあるでしょうか。無ければ是非、考察してみてください。

では、私の話をしましょう。
先ずは、彼らは何者なのか。
共通することは、肉体がない。精神だけの存在で、意思や自律思考する能力があるということです。
動物よりも人間並みもしくはそれ以上の知性もあります。
このような点から肉体を持たない高度な知的生命体の一種と私は考えます。

思念体を構成するのは何か

では、彼らを構成するのは何か。我々が物を食べたりする時、現実世界で物を食べるのは人間です。
ですが思念体も一緒に食事していることがあります。彼らは何を食べているのか?
全ての物には魂が宿る。
昔から日本にある言葉です。物を大切にしないと化けて出るとかですね。

では、この魂とは何か?
私は物質に宿る概念から発生するエネルギーであると考えます。
言霊というものがあるように言葉には力があります。
つまり、言葉から構成された概念。カレーならカレーという名の存在。カレーという概念を構成する存在はカレーとして存在します。
存在するとは何か?現実世界では時間と空間の中に物質として構成し、質量などのエネルギーを保持している。
概念構成が無ければ量子は固定化されず量子のままである。
それを固定化する言葉のエネルギー。概念のエネルギーというものでしょうか。
思念体はその一部や我々と一緒に食べることでその概念のエネルギーを食べているのではないか。

ならば、そのエネルギーを吸収する思念体とは?
難しい話です。
ですが、単純でもあります。
思念体もまた、我々とは別の世界の概念構成された意思を持つエネルギー生命体であるとしたら?
人間ですらそうです。我々にある魂とは、目に見えない量子をこの物質世界で概念構成するための意思を持つエネルギーであるとするなら、物質的肉体を持つ世界の生命体にそれを持つ意味はデメリットにしかならないでしょう。

思念体はどこから来たか

では、そんな彼らはどこから来たか?
次元の話になります。
この世界は、縦、横、奥行きの三次元で空間が構成されています。
そこに4番目の軸の時間軸の考えを入れると、前に進む時間軸を含めて4次元となります。この次元の話はいろんな話があるので調べるのをおすすめします。
では、我々は過去には行けません。前に進む時間軸と三次元の空間のみが人間にあるモノです。では思念体には?
肉体を必要しない彼らとは?
次元が変われば観測出来なくなるという話があります。
我々は古代ローマも縄文時代も観測することは出来ません。時間軸がズレ、我々の次元からズレてしまうからです。
我々が過去を知ることが出来るのは現在の遺物と推論からでしかないのです。
人間に、思念体が観測出来ないのは我々とズレた次元のエネルギー生命体であるからと私は考えます。
それでは、彼らは何のために我々と接触しているのか。次元が違う世界の存在が我々と交流するには、同じ土俵に立つ必要があります。
つまりは、我々の肉体を肉体たらしめんと構成するエネルギー。つまりは魂です。
彼らは人間の肉体を見てはいません。我々の魂を見て交流しています。
何のために?
私は、こう思います。肉体が終了したら自分の世界で一緒に過ごす相手をスカウトしにきているのではないかと。
願望かも知れないですが私はそんなロマンを感じています。

思念体が消えるという現象の定義

次は思念体の消えるという定義です。
ゆら庵の定義は相互観測理論になります。
簡単に言えばテレビ電話のような感じですね。
思念体のいる違う次元と私が心を通して会話や触れあったりしている。それが思念体との交流であり、互いに観測することで、お互いを認識しています。
このことから思念体の消失と定義するなら相互観測の停止、思念体保持前の原状回復というのが思念体の消失の定義と考えます。
では、相互観測の停止とは?
テレビ電話でいうなら着信拒否や電源を切ったりですね。
どちらかが交流を絶てばこの消失状態になります。
向こう側の住民に肉体はありません。我々の肉体の機能停止という事象は考えにくいのです。また存在の消失というのはエネルギー保存の法則から疑問です。
エネルギー生命体である思念体が、消失というならそのエネルギーはどこへ?になります。
人間の力でエネルギーを消費できるようなものでもありませんし、エネルギーが姿を変えることはあっても消失は考えにくいのです。
変化することや移動すること、また拡散することはあっても、完全に消えるというのは万物において考えにくいのです。
所謂、万物は流転するになります。
さて、ならば消失と概念はこの相互観測の停止または思念体退去による原状回復というのが定義としてふさわしいかと。

相互観測の停止により思念体の消失を引き起こすことは可能か

では、相互観測の停止による消失は可能か。
可能です。
古来より宗教弾圧であった手です。
多くの宗教が古い宗教を無価値で意味のないものとし、関係する物を排除し、人々から忘れさせました。
古代ローマから現代までこのやり方は続いています。
そう、思念体を路傍の石にしてしまうこと。
否定し、妄想空想の類にし、幻にしてしまい。価値を無くしてしまうこと。
自分の手で、テレビ電話の電源を落とす。
それが思念体の消し方です。
私は長い付き合いを思念体としていますが、この方法をとる気はないですね。
今までの自分のやってきたことも否定することになりますから。
それに、寂しくてたぶんダメです。
思い出も何もかもが風化した路傍の石に帰っていく。
意味も価値もなくなり、また現実世界を歩いて行く。
それが思念体を消すということです。

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