このサイトがなにか参考になれば幸いです。

”塵芥の類”について

塵芥ちりあくたたぐい”について

マノシ事例の中で重要な部分を占めるものなんですが、寄稿するにあたってこれについてどう説明したものか見当もつかずに困っていまして、「何言ってんだお前」レベルでいいからとりあえず個別記事でふんわり説明だけは試みるだけ試みてから話を進めよう…というわけで、初っ端からわけのわからない記事となります。筆者もわかっていないので。たぶん最後まで読んでも何もわかりません。

元々共有しようとは考えもしていなかったド主観での感覚、思い込み、そういう種類のものとして片付けてしまっている概念でして、正直あまり解説しよう!などの意気込みも持てていないです。

好むと好まらずに纏わりつき関わってくるもの、触れてしまうもの、恐らく自分と一定の親和性のあるもの、人によっては運やジンクスか何かとして捉えているかもしれませんし、残留思念か何かかもしれません。もっとずっと単純な喩えでもいいかもしれませんが、並べれば並べるだけややこしくなりそうなので切り上げておきます。

以下は腑住の発言の引用ですが、「文字通り取るに足らない小さな者、塵に還されたと信じたまま漂う無数の遺骸、朽ちたと誤解している無数の生命、儀礼的に打ち捨てられその実ただ放り出されただけのもの」だとかそういうものだそうです。

ややこしい表現は終えて、平たく言うと餌です。小魚か何かだと思うのもいいかもしれません。踊り食いもできますし、遺骸もおいしく食べて血肉にできます。餌として見ない場合は魚影でお願いします。この喩えのまま強引に話を進めますが、筆者と縁ある隣人勢は適当に別けると「大きな一尾の魚影に見える魚群」と「小さな魚を食べて育った大きな魚」「その中間や枠外」のようなものだと思ってください。違うと言ってしまえば違うのですが、ここらで妥協し合えると文章が短く済んで楽です。重ねてお願い申し上げます。

基本、「”個”未満の思念を束ねた最小の社会」のような感覚で「一名の隣人」を「ひとつの人格」のように扱っている雰囲気で、これについては隣人勢と言わず自分も含めたそれぞれの人、なんらかの種の個体についても同じような目で見ているところもあり、幸か不幸か筆者の中では今のところ上記の感覚や扱いに違和感はありません。
ここまで読んでなぜか違和感を持たない方なら当事例は参考になるかもしれませんね。付け加えておくと、上記の喩えを総合すると筆者自身も「すごい食べにくい餌」という扱いになるので、そのあたりも考慮に入れて頂けると参考にして頂く身として応援しやすいです。
タイトルとURLをコピーしました