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タルパとイマジナリーフレンドの違い

今一緒にいるこの存在はイマジナリーフレンドなのかな?タルパなのかな?と悩むフォロワーさんから、イマジナリーフレンドとタルパの違いは何か訊ねられたことがある。
当時ぬずは以下のような答えを出した。

「すごいタルパを創った!と思っても、精神科医に診せたらカルテにIC(イマジナリーコンパニオン)と書かれること多めだと思う〜」
「ネット上でのタルパの定義は曖昧だし、その存在がイマジナリーフレンドかタルパかを正しく見極めれる人はいないのだ〜。だから、自分とその存在さんの目標によって決めてもいいのではないかと思うみ〜。例えば魔術的な能力を鍛えたいのなら、イマジナリーフレンドよりもタルパと名乗った方が魔術情報入ってきやすかったりする〜」
この考えは今も変わっていない。

しかし「同じ存在を指し示すことができるということは…イマジナリーフレンドとタルパは完全に同義なんですか?」と聞かれれば、答えはNOである。

そもそもだが「同じ存在を指し示すことができれば完全な同義」という理論は誤りである。例えば、宵の明星と明けの明星はどちらも金星を指し示すことができるが、それぞれ、日没に見える星と明け方に見える星の意が含まれていることから完全な同義とは言えない。

では、イマジナリーフレンドという単語とタルパという単語は…どこが異なるのであろうか?

「タルパはチベット密教由来の言葉でありイマジナリーフレンドは精神医学由来の言葉である。種別の異なる言葉のため比較することはできない」という主張や「イマジナリーフレンドは自然と側にいる存在で、タルパは意識的に創った存在」※という主張を聞いたことがある。

※精神医学・心理学用語としてのイマジナリーフレンドには保持者に創ったという意識があるか否かの限定は特にされていない。しかし「タルパと比較した場合には、その要素が浮き彫りになってくるのだ」という主張を個人が行うことについて私は否定しない。

先人の方々と同様に、私も私が特筆すべきと感じた違いをひとつ述べてみよう。

私は、イマジナリーフレンドとタルパという単語の違いを下記のように解釈している。

イマジナリーフレンドという単語は、保持者の精神活動の内側でのみ存在し、保持者の精神活動無しには存続できないという前提が示唆されている。それに対し、タルパは示唆されていない。

解釈の理由を述べる。
イマジナリーフレンドは精神医学由来の語であるという知識を私は持っている。精神医学由来の単語には、ヒトの精神の状態・精神活動により存在していると感じられるものを指す単語が多い。なぜなら『精神』医学であるからだ。単語の例としてはうつ状態・幻覚が挙げられる。ここから推察し私は上記の解釈をした。

(対してタルパのような宗教由来の単語は、存在するにも関わらず客観的または科学的な証明が得られていない存在を存在していると認識し運用されていることが多い。なぜなら宗教は絶対者を求める営みであり、人智を超えた存在を信ずることから始まっているからだ。単語の例としては神仏が挙げられる。)

また、イマジナリーフレンドは、イマジナリーとフレンドの複合語である。どちらも保持者との関係性を示す語である。この、語としての構造も、保持者がいるから存続し得るものという前提を示唆していると考えられる。

最後に、この解釈は実用的でないことを明記しておく。実用的ではない。その存在が精神活動の内側でのみ存在し得るのか否かについて証明方法が確立されていないためである。もちろん、存在するとは何か?という問題も残されている。

結論
ぬずは、イマジナリーフレンドにおいても保持者の精神活動がなくたって存在する存在は存在すると思っている。でも、イマジナリーフレンドという単語自体は、それを想定していない気がするのだ。
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