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第12回 一緒に食べるということ

さて、第12回は食べ物の話になります。
皆さんは思念体と一緒に物を食べるというのはどうしているでしょうか?
今回は、ゆら庵の考え方をご紹介しましょう。

まず、食べ物というものですが人間では生きるために必要な物質です。
しかし、精神世界の住民たちに食べ物を供えることがあります。
お仏壇のお供え物や神棚のお供え物。神社の祭事や仏教の施餓鬼など。
この物質世界のものは、最終的には人間が食べたり処分することになります。
精神世界の住民たちが食べることはありません。

では、何故供えるのか。
食べ物のエネルギーやその概念から来る気を食べると考えています。
供えられた物はなくなりません。ですが、その物がそうである概念やエネルギー、気などを精神世界の住民たちは食べるというか取り込んでエネルギーにすると考えます。
だから人は神や仏に物質世界の物を供えると解釈しています。
そして神や仏から代わりの御神気や御利益を食べ物に頂いて人間が頂く。
こうした関係ではないか。なのでうちは、食べるものや飲み物など頂くものは思念体たちに、供えてから頂きますのつもりで食べてます。

だから頂きますの言葉とご馳走様は忘れないように気をつけてます。
食べる前に手を合わせて思念体に捧げて、気を食べてもらって、有り難味を入れてもらってから感謝して食べる。
うちはそういう感じです。

それでは、ゆら庵のお供え物の仕方をご紹介しましょう。
簡易と一日十五日のお供え物の2例をご紹介します。
簡易は外食とかですね。まずこれから来る飲食物は思念体と一緒に食べると念じます。
そして、飲食物が来たら手を合わせて頂きますと。
それから食事を楽しみ、終わったらご馳走様と。
これだけです。食べながら頭の中で思念体と談笑するのもありです。
食べ物に感謝して、思念体と楽しむ。食べ物はいろんな人や思念体からも頂いたものと思うのが大事です。
次は月一日十五日のお供え物になります。
月の一日十五日はまず、神棚を私は清掃します。祭壇とかの方もいるでしょう。その方は祭壇を。
そして清掃が終わりましたら海の物、山の物を神棚に配置します。私はお酒も置いてますが未成年者の方は是非好きなジュースを。
そして二礼二拍手再拝を行い、祓え祝詞、大祓を奏上します。それが済みましたら各種祝詞を奏上。
最後に御食御酒の祝詞を奏上します。
この時に私は再び二礼を行い八拍手と再拝をしてますね。
そうして、終わりましたらいつもありがとうございますと念じて終了となります。

さて、お供え物ですが私は常温保存が効くものは次の一日十五日まで置いて置きますが、保存が効かないものはその場で下げて食べるようにしてます。
思念体と人間では食べ方も食べる速度も違いますから、一瞬でも大丈夫です。
これがうちのやり方になります。

ゆら庵は神式のやり方になりますが、皆さんはいかがでしょうか?
是非、自分なりのお供えという考えや方法について考察実行をしてみてください。
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